茶の湯とは 歴史や流派のギモン

茶の湯とは 歴史や流派のギモン

近年、茶道を始める方が増えたと聞きます。
その理由は各自違うと思いますが、そもそも近年の抹茶・緑茶人気からこのコンテンツを学びたいという方が増えても不思議ではありません。

最近はのきなみビジネスや一般教養と茶の湯との関係に関する本も本屋で目につきます。

2022年、千利休生誕500年という節目の年となります。

そもそも茶道(茶の湯)とは。
巷に出回る茶の湯に関する噂の神髄についてもご紹介。

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茶の湯とは

一般的に「茶道」と言われることが多いですが、すでにお茶に携わっている人は「茶の湯」と呼ぶことが多いように思います。

元々は「茶の湯」と言われていました。
それが一種の作法と定義づけられたのか、江戸時代以降「茶道」という言葉が使われるようになったようです。

「茶の湯とは、ただ湯をわかし茶を点てて、のむばかりなることと知るべし」
千利休の言葉です。

茶の湯とは当たり前のことをどんな状況であろうと当たり前のように行い、客人をもてなし、美味しいお茶を飲んでいただくことにあります。

作法がどうのということより、その一服のお茶を湯が沸いた絶妙のタイミングで点て、お客様に飲んでいただく、その心を表した言葉と言われています。

そのほか「当たり前では?」と思えるような茶の神髄を説いた利休の言葉があります。

一, 茶は服のよきように点て
一, 炭は湯が沸くように
一, 花は野にあるように
一, 夏は涼しく、冬は暖かく
一, 刻限は早めに
一, 天気でも雨の用意
一, 相客に心せよ

利休七箇条と言われる言葉です。

すべては「もてなし」の心です。
当たり前に思えることを、当たり前にすべて行うことがどれだけ難しいか。

抹茶は茶葉とお湯だけで点てます。
そこに甘さを加えたり、フレーバーを足すことはありません。

でも不思議と点てた人によって味が変わるのです。
いつでもどんな状況でも同じようにお茶を点てるということがいかに困難か分ります。

利休はそれを追求し続けた人だったようです。

江戸時代になってからはどこか作法が先行し、「茶道」という言葉が一般化しましたが茶の湯の根源はもてなしにあると覚えておいてください。

茶の湯の歴史を知っておこう

茶道というと、千利休と結びつくと思いますが、実は利休さんよりずっと歴史は長いのです。
そもそも茶は中国より仏教とともに日本に入ってきました。

記述による最古は700年代とされますが、現在の茶の起源は禅師の栄西が1191年宋から茶の種を持ち帰ってきたことに始まります。

そこから茶の栽培が始まり、茶の効能(当時は薬とされていました)と飲み方も伝授。
やがて武家社会において唐物茶器など茶道具を愛でる風習が広まり、高級ながら庶民が茶屋で一杯のお茶を飲めるようになったのは室町時代中期とされています。

わび茶の確立

わび茶とは亭主と客人の交流・もてなしを重んじる茶の心。

茶の湯に馴染のない方も千利休の名前くらいは聞いたことがあるかと思います。
ただ、利休が生まれるもっと前にいわゆるわび茶の原型を作った立役者が2人います。村田珠光(むらたじゅこう)と武野紹鷗(たけのじょうおう)です。

珠光は浄土宗僧侶であり、当時中国から入ってきた道具が中心だった当時、国産の茶碗・茶入れなどを取り入れました。
茶碗は茶道具として作られたものでなく、日常使いで売られているものから選び、見立てで使っていたようです。

珠光が亡くなったとされる年に生まれたのが武野紹鷗。
利休はこの紹鷗の弟子となります。

珠光の魂を受け継ぎ、茶の湯を大きく発展させた現在の茶の湯の祖とも言われています。

ただ、近年は紹鷗所有の茶道具はかなり唐物も多く、珠光の目指すものとは大きく異なっていることが判明したそうです。利休は自身の美意識を元に道具を選んでいたため、どちらかというと珠光の精神に近いものがありました。

紹鷗の影響を利休がどのくらい受けたのかは今後も研究の対象となりそうです。

そしてその後、わび茶を確立させたのが千利休

織田信長の茶頭として仕え、信長死後は豊臣秀吉に仕えます。
利休は独自のスタイルを茶の湯に取り込みました。

瓦職人に茶碗を作らせたのも独自の見解から茶を飲むためにどういった茶碗が好ましいか追求したためです。(長次郎の楽茶碗がそれです)
そのほか、漁に使う籠を花入れに使用したり、無駄なものを一切排除した茶室など、それまでの茶道具の概念をことごとく覆していきました。

それは政においても変わらず、それが秀吉の怒りを原因となってしまいました。

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千家?お茶の流派って?

表千家・裏千家といった流派。
「道」とつくものには大抵ありますね。

茶の湯では「誰を祖とした流派か」という違いになります。

表千家・裏千家・武者小路千家はいわゆる三千家
千利休を祖とし、歴代の当主もその血筋で受け継がれています。

ただし、正確にいうと三千家を創立したのは利休の孫、宗旦です。
利休切腹後、近親者が殺害されないよう離れ離れになり暮らしていましたが、世が落ち着くと利休の茶を絶やさぬよう自身の子供に茶室を与え、それぞれの茶の道を進むよう指南します。

他の千家はそこから派生したものや、利休の弟子を祖とした流派。

代表的なものがこの三千家に続き藪内流(やぶのうちりゅう)、遠州茶道宗家、宗へん流(そうへんりゅう)、江戸千家、大日本茶道学会、などこれらが茶道八流と言われています。

そのほかを含めるとかなりの数の流派があるそうです。

三千家も元は同じはずですが、歴代の当主好みによってこの400年あまりの間に作法は少しずつ変化し、今となってはそれぞれまったく異なったものとなっています。

それでもこの三千家は共通点が多いとされるのは、原点が同じだったためでしょうか。

ちなみに一番入門者が多いのは裏千家。
いずれにしてもどの流派が正解というものはありません。

どの先生につくかでかなり稽古内容は違ってくるので、体験稽古などがあるところを複数申し込んでみるといいかもしれません。

先生との相性もあるかと思います。

お茶にまつわる都市伝説?を解明

茶道のイメージというと「堅苦しい」「作法が難しそう」といったワードがまず最初に出てきます。
実際茶の湯に携わっている自身としては、まあはずれではありませんが、そこまでの堅苦しいものではありません。

都市伝説化しているお茶にまつわる事例をひとつづつ解説していきます。

堅苦しい作法

作法が細かいのは否定しません。確かにちょっと面倒と思える作法もあります。
ですが茶の湯の作法の根源にあるのは「相手へのもてなしと心くばり」です。

作法は流派によって異なります。
大寄せの茶会などは細かい作法は不要。(流派の異なる方が同じ席を共にするため)

お茶碗を回す回数は2回?3回?などと深く考えずに、美味しくいただいてください。
それがお茶を点ててくれた亭主への感謝の気持ちです。

お茶会は着物?

お茶会というと着物が着れないと、、、と思うかもしれません。
結果からいうとそんなことはありません。

茶会にはグレードがありますので、その茶会にもよりますが。

確かにドレスコードはあります。
ただそれは着物でなければならないというわけではありません。

亭主・半東は着物であることが鉄則かもしれませんが、客側はもてなされる側。
着物が難しいならば洋服でもかまいません。(ただしカジュアルすぎるものはNGです)

洋服の場合、最低限以下のことはご注意ください。

・肌の露出は最低限にする。長袖のスーツ・ワンピースなどが一般的です。
・女性はスカートの場合、正座しても膝上にならないように。
・必ず白い靴下に履き替える(女性はストッキングの上から白い靴下をはきます)
・女性は特に長いネックレスなど茶碗などに当たる可能性のあるジュエリーには注意してください。

お茶は苦さをガマン?

抹茶は苦くて苦手という話を聞きます。
本当に苦いと感じているのか、正直疑問です。

確かに抹茶は煎茶と異なり、茶葉をそのまま飲むので煎茶より苦味は強く感じます。

しかし、苦い苦いというほどでもなく、実際初めて抹茶を飲む方の感想のほとんどが「思っていたより苦くなくて美味しい」というものです。

もちろん茶葉の種類により苦味の強さは異なるので、少し強めのものもあるのも事実ですが、茶とたしなむ人がそんな苦さをガマンしてその道にたずさわっているとは考えられないですよね?

食わず嫌い(飲まず嫌い?)にならず、機会があればぜひご賞味ください。

「MATCHA」という名で海外でも健康面から人気の抹茶。

日本人としてちょっとこの400年以上続く文化に触れてみるのもいいかもしれません。
この記事で少しでも堅苦し茶の湯のイメージが払拭されればうれしいです。

抹茶の効能についてはこちらをご参照ください。
> 抹茶の効能と美味しい時期

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