浮世絵とは?400年続くその人気のヒミツ

浮世絵の魅力

葛飾北斎「冨嶽三十六景 尾州不二見原」

ひとたび展覧会が開催されると、連日大盛況となる浮世絵。
アートとして扱われることが多いですが、江戸時代はポップカルチャー。
現在でいうファッション誌でありブロマイドでした。

浮世絵は知れば知るほど面白い。
知ればきっと見え方が変わります。

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浮世絵って何?

江戸時代の木版画。
間違いではないですが、肉筆画という直筆の絵画も含まれます。

「浮世」とは「憂き世」の当て字。しがない世の中もちょっと見方を変えれば浮足立つような楽しみも見えてくる。
浮世絵はつまり言ってみればその時の世の中を描いた風刺画のようなものなのです。
それを絵師が独特の切り口で描きました。

歴史

江戸幕府が成立し、江戸に町ができるとそこには独自のカルチャーが生まれます。

それまで日本画といえば狩野派などの高尚な美術が主流でした。
そんなおり、江戸では名もない絵師の絵が出回るようになりました。

その絵は貴族の女性が中心だったもの庶民、さらには遊女などがクローズアップされます。

活字印刷技術がそのタイミングで海外から入ってきたため、版本などが作られるようになります。
そこに添えられた挿絵が浮世絵のルーツという説もあります。

浮世絵の最初の絵師は菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の存在と言われています。
彼は絵に「日本絵師菱川」と落款を記します。

現在でも有名な一点「見返り美人」は師宣の代表作ともいえる肉筆浮世絵です。

師宣がデビューした江戸時代初期、江戸では大火事など災害が多く、町の再建などのため日本全国から職人が江戸に集まります。

職を求める職人は娯楽も同じく求め、そこに安価に手に入る版画は現在の雑誌に似た一種の楽しみの一つだったと考えられます。

浮世絵の形式の流れ

浮世絵は木版画だけではありませんし、今展覧会などで見られる色鮮やかな多色摺りのものだけでもありません。
それは江戸時代という時代背景も影響されています。

浮世絵の流れはざっくり追うと以下のような感じです。

1.墨摺絵(すみずりえ)

墨摺絵(すみずりえ)

菱川師宣画

延宝年間(1670年~1681年)以降。菱川師宣らによって使われていた技法で、一枚絵として独立させたもの。
その名の通り、墨一色で描かれたものです。

2.丹絵(たんえ)

丹絵(たんえ)

鳥居清倍画「市川団十郎の竹抜き五郎」

墨摺絵に丹(ベンガラ)を主色に色彩を加えたもの。
延宝・天和年間(1670年~1681年)以降、全盛期は1711年~1716年ごろ。

3.紅絵(べにえ)

享保初年から享保年間に用いられた技法です。
丹絵とはまた異なる、植物性の紅色を使って彩色されたもの。

4.漆絵(うるしえ)

漆絵

奥村利信画

紅絵の墨の部分を膠(にかわ)を使い、漆を塗ったような効果を出したもの。
享保から延享年間に用いられた技法です。

5.紅摺絵(べにずりえ)

紅摺絵(べにずりえ)

鳥居清倍画

延享元年から明和二年(1744年~1765年)くらいに用いられた技法。
最初は紅を主として墨、緑または黄色の3色でしたが、後に藍なども加わり5色摺りが出てきます。

見当(けんとう)と呼ばれる版木の隅にある紙を合わせる目印が用いられるようになり、色ずれもすくなくなったと言われています。

6.錦絵(にしきえ)

今、私たちが多く目にする色鮮やかな浮世絵の技法です。

大きな時代の流れによる技法の展開はこのようになっていますが、一時的に紅をあえて使わない「紅嫌い」といったものや、紙の凹凸をつける「空摺り」などもあります。
紅嫌いは幕府が華やかさや贅沢を禁じた禁令を出したことによる絵師の苦肉の策とも言われています。

また、展覧会などで実物の浮世絵を見る機会があれば、ぜひ空摺りも近くでみてみてください。
色はついていないのですが、独特の凹凸で見事な効果を出しているのが分かります。

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伝統工芸として受け継がれている浮世絵

現在はアートとして取り扱われている浮世絵ですが、江戸時代は庶民の娯楽の一部でした。
ただ、もちろんアートとしての魅力があったことは間違いありません。

浮世絵の模写をゴッホなどが描いたことは有名です。
浮世絵は現在の広告(チラシ)としても使われていたため、その役目が終わればゴミになります。

その不要になった浮世絵を器の包み紙につかっていたところ、ヨーロッパで評判になったというのは浮世絵好きの間では有名なエピソードです。
つまり浮世絵の影響力は海外の画家たちにも少なからずあったといえます。

そして現在はその技術を継承すべく「江戸木版」という名称で国指定の東京の伝統工芸に指定されています。
先に記載した技法は今も職人さんにきちんと受け継がれているのです。

浮世絵の役目

今、伝統工芸とされいる浮世絵。
江戸時代はどんな役目で活用されていたのでしょうか。

その役目は多種多様ですが、ひとつ言えることはアートではありませんでした。
その理由に浮世絵には版元、今でいう出版社の中のプロデューサーから依頼をうけ、絵師たちは制作に入っていました。

浮世絵の名プロデューサーが「蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)」です。
絵師に具体的な指示をし、庶民受けする浮世絵の数々を世に出していきました。

ちなみに現在の「TSUTAYA」はこの人の名にあやかってつけられたとも言われています。
(創始者の祖父の屋号説もあり)

絵師である以上、もちろん自分の作品として肉筆画などを描いた記録はありますが、浮世絵は分業制(絵師・彫り師・摺り師といった専門の職人による分担作業)だったこともあり、好きなものを好きなようにというようなことはできなかったと考えられます。

では江戸時代、浮世絵はどのような役目を果たしていたのでしょうか。

ガイドブック

葛飾北斎の「冨嶽三十六景」や歌川広重の「東海道五十三次」が代表的な「名所絵」は庶民の夢旅行であり、いつか一度は訪れてみたいと憧れを抱かせる意味でも人気の浮世絵でした。

ファッション誌

浮世絵 美人画

喜多川歌麿画「歌撰恋之部 物思恋」

今の女性ファッション誌的な役割をもっている浮世絵も数々残っています。
最新の着物を呉服屋から情報を集め、今春の新作といった形で美女がその新作を着ている浮世絵や、人気歌舞伎役者が浴衣を着た姿の浮世絵を見て、我先にと同じ反物で浴衣をしつらえる男性もいたとか。
まさに今のファッション誌ですよね。

グラビア誌

広告や雑誌において美人にスポットをあてるのは今も昔も同じこと。

浮世絵では特に人気のあった遊女(遊郭の女性)や一般庶民の女性の色っぽい湯上り浴衣姿など、数々の美女の一瞬を切り取ったものが大人気でした。

どの時代も紙面の美女に世の男性は食いつきます。

※一般的にいう春画とは異なります。

ブロマイド

浮世絵 役者絵

東洲斎写楽画「初代市川鰕蔵の竹村定之進」

一般的には歌舞伎役者のブロマイドが多数摺られて販売されていたようです。
人気役者の人気演目を題材にしたものは上演されるや否や売れ行き上々でした。

それも版元の腕の見せ所。
何か当たるか瞬時に見極め、絵師に描かせて急ぎ版木を彫らせます。

後は摺り師はひたすら摺り、販売します。
出版関係の忙しさも江戸時代から今日まで何も変わらないですね。

そうこうしているうちに絵師の腕もどんどん上がり、一目で誰誰と分かるようになって行きました。

大首絵で有名な写楽はあまりにシワなども特徴をとらえて描いたため、女形の歌舞伎役者からは人気がなかったとか。

役者をどう格好良く描けるかが絵師に求められていました。
しかもかなり似ていたといいます。

死絵と呼ばれる、役者が亡くなった時に出される絵もスターのものは数多く出版されました。

江戸時代の役者で一番売れた役者絵は八代目市川團十郞と言われています。

> 浮世絵 | 写楽とは?役者絵の見方と魅力

浮世絵の楽しみ方

ヨーロッパのゴッホやゴーギャン、モネやセザンヌといった偉大な画家たちが北斎の絵などを自らの作品に取り入れるほど海外で浮世絵は美術品として高い評価を受けました。

ゴッホやゴーギャンの作品には浮世絵を模写したものも残っていますし、モネにいたってはリビングの壁に10点あまりの浮世絵を飾っていたと伝わっています。

今、北斎や広重、歌麿呂といった有名絵師の浮世絵の多くがが海外の美術館所蔵のものです。
それは海外ではアートして価値があるとされ、コレクターたちがこぞって買いあさっていたものが残っているからです。

残念ながら日本ではそれほど当時のものは残っていません。

それは日本で浮世絵が認められなかったからではなく、とても身近なものだったからと個人的には思います。

親子の何気ない日常のひとコマ、富士山の見える風景、遊郭といういってみれば悪所と言われた場所までもが浮世絵の題材でした。

浮世絵をみれば江戸の当時の暮らしが見えてきます。

「キレイ」
だけでなく、ちょっと視点を変えてみるともっと面白い気づきがあるかもしれませんね。

ぜひご自身の視点で浮世絵の面白さを発見してください。

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