喜多川歌麿とは 絵の特徴と見方

喜多川歌麿とは 絵の特徴と見方

浮世絵でも代表的な「美人画」。
遊女や女性の日常を、匠な表情で切り取った画が大人気。

美人画の第一人者と言われています。

抜群の描写力と細部までこだわった表現力が卓越した歌麿とはどんな絵師だったのでしょうか。

歌麿の浮世絵の魅力と歌麿の画の見方にせまります。

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喜多川歌麿とは

実は歌麿の生涯はわかっていないことが多いようです。
一般的には1753年生まれ、1806年没とされています。

鳥山石燕(とりやませきえん)という浮世絵師のもとで絵を学びました。
その後は北川豊章という名で浮世絵師として活動を始めます。

20代、様々な技法で絵師としての基盤をつくるべく模索を続けます。
30代に入り、「画本虫撰」という狂歌絵本の挿絵が歌麿の絵が選ばれ、それが転機となっていきます。

その写実は見事で、絵師としての実力を知らしめるきっかけともなりました。

この描写力と狂人的な精密さに目をつけたのが、浮世絵の版元でもある蔦屋重三郎です。

歌麿をバックアップし、数々の錦絵を出版していくうちに歌麿の絵は画一されていきました。

40代に入るとそれまで評判の良くなかった美人画において、独創的な構図と描写で新しい作品を作りあげます。
大胆にバストアップで切り取った構図。大首絵と呼ばれるその顔には、女性の一瞬の心情をとらえているとも言われ、大ヒット。

「ポペンを吹く女」「婦人相学十躰」など歌麿の代表作となるものはこのころに描かれます。

このヒットにより歌麿は大人気浮世絵師としての地位を確立。やがて美人画を描かせれば右に出るものはいないと言われるまでになりました。

歌麿は遊女・町娘など様々な女性をモデルに描きましたが、やがて歌麿が取り上げられた女性はたちまち有名になるようになりました。

そうした社会現象を幕府は風紀の乱れの予兆とし、浮世絵に対し度々の制限をかけます。
歌麿はあの手この手でそういった制度をくぐり抜けて作品を出し続けますが、豊臣秀吉の醍醐の花見を描い「太閤五妻洛東遊観之図」が徳川家斉を揶揄しているとされ、幕府に拘束されてしまいます。
手鎖50日の刑だったと伝わりますが、その後歌麿は衰弱。

それからも歌麿への依頼は続いたが、最盛期の勢いはなく、手鎖の刑から2年後亡くなったとされています。

喜多川歌麿の美人画の見どころ

喜多川歌麿の美人画は唯一無二のものといっていいかもしれません。
独自の表現力は他の絵師には見られません。

歌麿の美人画の魅力とはどこにあるのでしょうか。

愛らしい表情としぐさの捉え方

ポペンを吹く女

ポペンを吹く女(ビードロを吹く女)

「婦女人相十品」のシリーズ内「ポペンを吹く女」を例にとって見てみます。
ここでは女性が無邪気にポペンで遊んでいます。
ポペンとは息を吹き込むことによりペコペコと音が鳴る、ガラスのおもちゃです。
江戸時代大流行しました。

無邪気さと、ポペンを持つ指と加える口の色っぽさが垣間見える作品です。

ポペンの音を楽しむ、女性のあどけない一瞬の表情をとらえているのが見事です。

女の心情をたくみに表現

歌麿は女性の繊細な心情を描くことに長けていたと言われます。
それは、ある日常の女性のしぐさであったり、遊郭の花魁であったりと、様々な立場の女性を美しさだけでなく、心理的な面もふくめて描きました。

「婦人相学十躰」を例にとって見てみます。
これは湯帰りの女が振り返った一瞬を描いたものです。

この作品には「浮気の相」という副題がつけられています。
その題を見なくても、浴衣姿で手ぬぐいで手を拭きながら振り返る美人の表情は情に満ちたように感じ取れます。

ちなみにここの浮気とは亭主以外の男性に思いをよせるということより、うわついて落ち着きのない様子のことを指しているとも言われています。

婦人相学十躰

婦人相学十躰 浮気之相
(ふじんそうがくじゅったい うわきのそう)

女性の顔も後頭部も同時に見せる

歌麿はそれまで全身で描かれていた女性を大首絵と呼ばれるバストアップに切り取るなど構図の取り方にこだわりぬきました。

女性の顔にクローズアップしたことで、さらに表情が繊細に描けるからです。

さらに「姿見七人化粧」では鏡をみる女性を描き、女性の表情と色気ただよううなじを一つの画面に納めています。髪の生え際、髪を一本一本まで描きこまれた傑作と言われています。

ただ、浮世絵は木版画。
この細部まで表現されるように繊細な線を掘った彫師の技術も卓越したものであることは言うまでもありません。

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小道具の使い方

衝立の男女

衝立の男女

女性を美しく見せるための小道具の使い方も抜群。

「高名美人六家撰」の「扇屋花扇」では花魁が長い筆を持ちながら頬杖をついて手紙を読んでいる様子が描かれています。
その筆の持つ指がなんとも色気を醸し出しています。

「衝立の男女」では薄い布ごしの女性の顔。
カメラのフィルター効果にも似た色っぽさがでます。

この手法は歌麿の得意としたもので、他作品でもよく見られます。

小道具はどれも女性を美しく見せるためのもの。
それはときとして女性の指だったりします。

指の先まで線の強弱をこだわりつくした歌麿の美人画。
圧巻です。

大首絵では絵が単調となりがちなため、より表情をつけるため小道具を多く用いたとも言われています。
筆や口紅、扇子、煙草やお歯黒道具など、当時女性が使っている日用品すべて絵に取り込みました。

小道具を効果的に入れることにより、女性のしぐさや心情、艶っぽさを演出しました。

歌麿作品ココがポイント!

美人画の描き方に注目されがちな歌麿の浮世絵ですが、作品の見方を少し変えると様々なことが分ってきます。
それは技法であり、当時の江戸の生活であり、時に政治的な背景であったりします。

木版画ならではの見せ方

歌麿の大首絵の作品には背景を雲母の粉を用いた雲母摺りにしているものが多く見られます。
これは、女性の表情がフォーカスされれる効果もあるとされています。

また、版の凹凸で表現する「空摺」(からずり)
色をのせずに和紙に凹凸ができるのですが、この手法を活かした作品もよく見られます。

和紙の色を活かし、表面の凹凸だけで効果的に見せるのは、浮世絵という木版画の特徴を最大限に活かした歌麿のセンスに他なりません。

時に空摺を活かし輪郭を描かないことにより、女性の肌の柔らかさを出したりと、その表現力は卓越していました。

女性の生活のワンシーン

歌麿は着飾った女性をきれいに描くことだけに専念したわけではありません。
時に隙だらけの生活の一部を鋭敏に捉え、心情をも伝わる表現で描きました。

例えば「青楼十二時」は12枚におよぶシリーズですが、遊女の1日を1刻×12描いています。
そこには遊女としての姿だけでなく、休憩している姿、身支度しているところなど、言ってみれば遊女の裏の姿が描かれています。

町の女性の何気ない日常が歌麿の作品として描かれると、なんとも魅力たっぷりの女性のしぐさに映るのが不思議です。

この暗号はなに?絵に隠された洒落

町娘を描けばひとたび大ヒットとなった歌麿の浮世絵。
歌麿はモデルとなった女性の名前を画に表記していました。

そのモデルとなった女性は瞬く間に江戸の町で注目される存在になったといいます。

そんな折、江戸は大飢饉後景気は悪く、贅沢ものや風俗を規制するようになりました。
浮世絵も当然その波をうけ、風紀の乱れを取り締まる幕府からは出版統制としてモデルの名を画に記載することを禁止しました。

そこで文字でなく、アイコン?でモデル名を表現。
「高名美人六家撰」シリーズのひとつ、扇屋花扇では右上に「扇」「矢(屋)」「花」「扇」の絵が描かれています。モデルの名の扇屋花扇を絵で示した例です。

扇屋花扇

扇屋花扇右上のアイコン

その後もどんどん政府の取り締まりは厳しくなりますが、歌麿はあの手この手でその規制を潜り抜けます。
しかしながら秀吉開催の「太閤五妻洛東遊観之図」を出典すると、徳川を揶揄しているとみなされ手鎖50日という厳しい刑を受けることとなりました。

歌麿は海外でも北斎に並び大人気絵師です。
その作品の多くはロンドンの大英博物館、パリのギメ美術館、ボストン美術館などで保存されています。

それは美人画だけでなく春画でも高い評価を得ています。

江戸時代の女性の姿を余すところなく画に残した歌麿。
美人画にふとその当時の生活を垣間見てみるのも面白いですよ。

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