民藝ファン魅了の益子焼の歴史と魅力

益子焼

民藝が注目される中、民藝運動の先駆者濱田庄司が発展させたと言っても過言ではない栃木県益子焼
私も大好きな益子焼。伝統を継承しつつモダンなデザインは毎日使ってもアキがきません。

「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」
その言葉通り、濱田庄司は益子の土で生涯に器を作ることを決めました。
関東大震災の翌年です。

民藝の追求とともに益子焼の発展にも貢献した濱田は1955年、第1回重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定されました。

その濱田庄司の愛した土地の今なお続く益子焼の歴史と魅力を探ってみました。

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益子焼の歴史

昭和54年に国の伝統的工芸品に指定された益子焼

江戸時代後期に始まった益子焼ですが、明治時代の後期には勿来土瓶(なこそどびん)がアメリカに大量に輸出されていた記録が残っているそうです。
そのうち、生産が追いつかなくなり、そのため品質はおち、不良品を出荷してしまうこともあったようです。
それが原因で信用を失った益子焼は海外への輸出も止められます。

そんな折1903年益子陶器同業組合が発足するも、時代は金属製品へと移り変わり、人々の暮らしが変わったことにより昔ながらの焼き物は少しずつ売れなくなっていきました。

大正に入ってから益子の不況は続き、そこに関東大震災が起こります。

日用品すべてを失った人々は生活を取り戻す過程において、当然食器なども新たに求めます。
それが益子焼の生産性をあげました。

その翌年、益子に移住してきた濱田庄司により益子焼の知名度は一気に引き上げられました

赤みがかった素朴な土は濱田自身を魅了し、これこそ民藝と呼ばれる無骨ながら人の生活に寄り添う美しさを醸し出す益子焼を発展。

日本ばかりでなく、益子焼の名を世界に広めました。

濱田庄司が編み出した釉薬をかけ流す技法は
「15秒の作業だがこの技法はこの先60年続く」と彼自身の言葉通り、今も益子焼の定番技法となっています。

人の暮らしが変わりましたが、昭和30~40年に入ってからの民藝ブームの追い風にのり、益子では新たな取り組みが行われます。
外から陶工を入れ、「研究生制度」がスタート。
その二期生加守田章二(かもだしょうじ)は日本陶芸の鬼才と称され、第二のしょうじと呼ばれます。
彼の手腕はその後の益子焼のスタイルに大きな影響をあたえたと言われています。

濱田庄司

濱田庄司 出典:濱田庄司記念益子参考館

昨今の民藝ブームもあり、益子焼はどんどん人気に。
春・秋の陶器市の来場者数は佐賀の有田焼を超えるとも言われています。

若手の参入も多く、昔ながらの味わいを残しつつモダンな器が多く見られるようになりました。
そのパワーはすさまじく、2011年3月11日の東日本大震災の2カ月後、壁が崩れ落ち、落ちた屋根の瓦が山積みになっている栃木県の町中で、通例の春の陶器市を決行。
若手がSNSなどを使って来場者を集い、過去最多の来場者数を記録したのはまだ記憶に新しいですね。

大震災の痛手は激しく、登り窯の9割が損傷したとのことです。

益子焼は今なお登り窯を使用している窯元も多く、しならくの間は共同で窯焚きをするなど、益子の作家・窯元が一体となって数年はささえあったそうです。

大正時代、激減した窯元は今や400を超えているといわれています。
26,000人の人口の町と考えるとすごい数ですね。

今なお活気にあふれる日本有数の焼き物の産地と言えます。

益子焼の特徴と魅力

益子焼の釉薬

益子焼の代表的な釉薬は5種

【柿釉(かきゆう)】
茶褐色の釉薬が益子焼特有の釉薬。落ち着いた渋い茶色。
「渋い」と思いますが、他の色との兼ね合いでこれがモダンな風合いのアクセントにもなります。
芦沼石(あしぬまいし)の粉末だけを原料とし、これを低温で焼くなど改良を重ね濱田庄司が改良を重ねたと伝わっています。

【糠白釉(ぬかじろゆう)】
籾殻(もみがら)を焼いた灰から作られる釉薬で、焼くと白になります。

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【青磁釉(せいじゆう)】
糠白釉に銅を加え、調合した釉薬で、焼くと深みのある美しい青色になります。

【並白釉(なみじろゆう)】
石灰が主成分とし、焼くと透明になる釉薬。

【本黒釉(ほんぐろゆう)】
鉄分を多く含み、漆黒のような美しい黒になります。

渋すぎ!と思った方、以下の写真をご覧ください。
基本釉薬を使った筆者所有の益子焼の流しかけのオーバル皿。

益子焼

可愛くありませんか?
モダンなデザインですが若手作家の作品でなく、1969年創業の「象嵌てん」の器です。

益子焼らしい厚みがありますが重みはなく、オードブルから魚料理、ローストビーフ、果物まで様々な用途に使えます。

益子焼の特徴

「益子焼ってなぜこんなにごっついの?」

手にする人はその存在感に圧倒されるようです。そう、益子焼はけっこう厚みがあります。

これは益子の土が粗く、気泡ができやすいため、ある程度厚めにしないと壊れやすくなってしまうからです。
しかも焼くと赤っぽくなってしまうこの土は表現方法に限界がありました。

ただ、釉薬の見直しや釉がけ方法の試みで、不思議とバリエーション豊かな焼物になりました。
以下私所有益子焼きの一部です。

大誠窯 パスタ皿

震災で崩壊した登り窯の修復後初めての窯出しした器(大誠窯)

濱田窯

濱田庄司の子孫で受け継がれている濱田窯の大皿

媚びなくまさに民藝のモットーでもある用途の美を携える益子焼。
老舗の窯元と若手作家が伝統を継承しつつ進化し続ける器は、見る者、使う者を飽きさせません。

個人作家や各産地の焼物を所有する私ですが、
「どの焼物が好き?」
と聞かれると迷わず「益子焼」と答えます。

そんな方は多いはず。
でなければ、毎年陶器市に何十万の人は来場しないですよね。

産地アクセス

真岡鉄道「益子駅」から歩ける距離に店舗やギャラリーが建ち並びます。
陶器市も同じ場所です。

ぶらぶら歩くだけでも楽しい益子の町。
陶器市は数十万人ここに訪れます。

「益子共販センター」を目指してください。

【車の場合】
・東北自動車道栃木都賀JCT→北関東自動車道真岡IC→
 国道294号線、または121号線で益子まで。ICより約25分。
・常磐自動車道友部JCT→北関東自動車道桜川筑西IC→
 県道41号線で益子まで。ICより約20分。

【電車の場合】
・東北新幹線のご利用
東北新幹線で小山駅まで。小山で水戸線に乗換え下館駅まで約26分。下館で真岡鐵道に乗換え約45分で益子駅着。

・東北本線(JR宇都宮線)のご利用
宇都宮線(または宇都宮線直通湘南新宿ライン)で小山駅まで。小山で水戸線に乗換え下館駅まで約26分。
下館で真岡鐵道に乗換え約45分で益子駅着。

・つくばエクスプレスのご利用
つくばエクスプレスで守谷駅まで。守谷で関東鉄道常総線に乗換え下館駅まで約62分。
下館で真岡鐵道に乗換え約45分で益子駅着。

【鉄道とバスのご利用の場合】
・東北新幹線のご利用
東北新幹線で宇都宮駅まで。宇都宮駅西口より関東自動車益子駅行きで約1時間。

・東北本線のご利用
東北本線(JR宇都宮線)または宇都宮線直通湘南新宿ラインで宇都宮駅まで。
宇都宮駅西口より関東自動車益子駅行きで約1時間。

【高速バスご利用の場合】
秋葉原―笠間―益子  秋葉原から益子まで最短で2時間30分

料金2,100円(片道)
お得な2枚チケット3,700円 (片道あたり1,850円)
(1人で往復に使っても、2人で1枚ずつ使ってもOK。2枚チケット1枚で小児2名様のご利用もできます)

・秋葉原8:20→笠間→益子駅10:50
・益子駅16:00→笠間→秋葉原19:10

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